月: 2016年1月 (1ページ目 (2ページ中))

Drive 〜Lincoln highway〜

ハンドルを握り、遊びの少ないアクセルを緩く踏む。
動き出し、車体が日なたに進む。
木漏れ日を受けて、バックミラーに強い光がかちっと走る。
車内には重低音、窓からは南風。

ってそんな感じのドライブが最高だけど、真っ暗な早朝に玄関を開けて外に滑り出してみる。
走り始めがちょっと心細いような気分なのは、きんと冷えた夜の空気がまだ主役の座を譲らないから。
いつもより車通りの少ないバイパス、すこしだけスピードを上げる。
BGMは♩Lincoln highway  by Sublime
音から朝陽を先取りするみたいに、期待を込めて。
到着予定は午前7時。生まれたての朝の光をキャッチすべく、スモールカーを走らせる。

運転中は、瞑想のようにビジョンが展開する。
ある瞬間、深海のような濃紺の空。
次の瞬間、一直線の横棒。水平線。
地表から、空は白んできてようやく夜がその座を明け渡す。
夕方みたいな、それよりも新しい光。
どこまでも続きそうな浜辺に、カメラマン。
ゆるやかな波をつくる浅瀬に、サーファー。

めりこむ砂にすこし苦戦して、波打ち際へ。しゃがむ。低く、低く位置を構えてワンショット。
小さく白い海鳥たちが、ごく速いスピードで水際を駆けて一気に飛び立つ。
またも三脚を使うのをためらってしまった。ついつい面倒くさくなってしまう。
岩場に登り、空を仰ぐ。一分一秒、刻一刻とその色を変える。
ブラック、ネイビー、ブルー、ライトブルー、ピンクとイエローの混じった、いつもの空色!
シャッと筆を走らせたような、飛行機雲。
大きな岩の向こうから後光みたいに照らす、生まれたての太陽。
アザラシのように浮かぶサーファーたち、黄金の光を受けて、笑顔。
車から降りてくる青年たち、「気持ちいい!」って大きな声で。
叫んじゃう気持ちもわかるよ。

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往復5時間、決して長くない。

Life beside the Sea

大きなベッドに、天蓋はあってもなくてもかまわない。
大人でも3人から5人は眠れるサイズといってもいいだろう。
部屋はだだっ広く、天井は高く、窓は大きく。
すぐそとにはクワズイモ、アレカヤシ、そのほかのヤシやシダ類が生い繁り、まるで窓枠を額縁にした絵画のよう。
この部屋にいると、まるで屋外にいるみたいな気分になる。
少し高台に位置していて、潮騒までは聴こえない。
大型客船の汽笛は聴こえる。

古い木で造られた長い階段を下ると、両脇の明るい黄緑色の茂みの間から砂浜がのぞく。
どこまでも白く、眩しい。
素足になってそっと降り立つ。
サンゴのかけらでけがをしないように、そっと歩く。
グラデーションの青緑を遠目に、波打ち際まで近づく。
カモメが飛ぶ、小魚たちが煌めく、アダンの葉が揺れる。

呼び声が聴こえた気がして振り返るが誰もいない。
気のせいかと向きなおすと、波間に仲間たちが浮かんでいるのが見える。
ショートボード、ロングボード、ボディボード。
飲まれては立ち、立っては飲まれを繰り返し、そういう生き物のよう。
すべるように、乗れたとき、その画を逃さない。
ファインダーを合わせる。
シャッターを切る。
連写。
レンズのなかのその人と目が合う。
笑顔。
とても大きな、明るい。
ピントが合う、すべての。
ベストショット。

裸足の足裏の砂が、やさしい波に持っていかれる。
ふいに、よろめく。
持ち直し、カメラをななめがけにして、木の根に腰かける。
その目の高さで、もう一度愛機をかまえる。
今度は広角で。
仲間たちが、光る波間で宝物のようにきらきらと輝く。
それをとらえて瞬間を刻もうとする自分もまた、南中する陽の光にこれでもかというほど焦がされている。
左手に持つペットボトルが汗をかき、なかのレモン水も光を集める。
ごくりと一気に飲み干して、立ち上がる。
鳥の声が響く、高く、長く。
空腹に、すこし遅めのランチを想う。
タコミートをサンドイッチにしてもう一度出直そう。
腹ぺこの彼らに、美味なる糧を。

存在すらも忘れていた電話が鳴る。
遠い故郷の国から、懐かしい声が届く。
そこにもまた仲間たち。
南の風を衛星を経て、伝える。
声に色がつく。
明るい、きれいな色が。
耳からその色を摂取する。
存分に吸って、電話を切って、今度ははき出す。
元気の出ることばと一緒に。

「ごはん持ってくるねー!」

波間から、仲間たちが親指でサイン。

屋外のような家に、駆けもどる。
とても短い道すがら、何度かシャッターをきりながら。

宝箱のなかの映写機

大きな狼の子どもをひろった小さな梟の雛がまるで獲物をしとめたかのようによいしょと向こうの森まで飛翔する。

そのうしろ姿を少し下のアングルから撮った映像みたいな、へんな夢を見て目が覚めた。
空はまだ藍色で、下のほうからうすらぼんやり朝の気配が近づいていた。

夢に関する研究はまだ進んでいなくて、これからも進むかどうかは果たして疑問で、不思議な感じのままでいいのかもしれないねと思ったりもする。
占いや分析の言葉で夢の内容を整理する活動も人間はしていて、たまに見てみるとおもしろい。

いろいろなものの形に動物をみる傾向は児童期に多いとされているけれど、ほんとうのところはわからない。
子どもの時代に与えられる本やテレビやグッズには、どうして動物のものが多いのだろう。
大人になるにつれて、大きくなって目の高さがあがって、生命溢れる大地からすこし遠ざかり、無限に広がるかのように高かった空は近づいてしまう。より身近なものに意識がいき、ふだん関わりの少ないものたちとの距離があく。アフリカも、宇宙も、夢の国のおとぎ話も、みな宝箱のなかにしまわれていく。

が、しかし、大人のいいところはそれらをいつでも自分の気分しだいで取り出して遊べることのような気もする。与えられるのではなく、意志をもって。
まわりにいる遊び上手な大人、楽しみ好きな大人たちは、みなおもしろそうでカラフルななにかを自在に手に取って愉しんでいるようにも見える。
実に楽しそうに。宝箱のなかには無尽蔵に色が散りばめられていて、それは底抜けの構造で、世界に、宇宙につながって広がり続けている。手を突っ込んで、この際、身ごと投げ込んで、もぐもぐと味をしめたいところだ。そしていつでも、その箱は閉じたり開けたりできるだろう。なんなら網戸でもつけて、のれんでも、カーテンでも。精巧なステンドグラスでも。なんとなく、きれい。

夢を見たところからたまには少し理論的な視点に立ってみようかと思ったけれど、結局さいごには映像になる。
それを映す映写機もまた、宝箱のなかのヘビロテなおもちゃなのかもしれない。

びわの木のところで待ってる

5年と少し前の秋のこと。
小型旅客機にひょいと乗り込み、南の島までひとっ飛び。
美味しいお土産を山ほどスーツケースに詰めて、カラカラコロコロアスファルトの道を行く。
駅から実家まではおよそ30分。ちょっと長い。
夕暮れどき、空は水色から桃色のグラデーション。
夏の名残の雲はうろこ模様。
汗をかきかき、膝はよろよろ。
着信音、まだスマホじゃなかったな。
母からの「おかえり」。
空港から、仕事が終わりがけ狙ってメールを送っておいたのだ。

いまどのへん?
橋のところ、信号の。
信号の?
うん、びわの木のところ。
どうする?さき帰る?
待ってる、びわの木のところで。

言いまわしが、絵本や童話のようだと後から笑って話した。
そのびわの木は、街を流れる川の中腹に残る小さな島のような陸地にひっそりと、それでもしっかりと生えていて、季節になると実をつけるらしい。
私はそれを見ることなく、街を出た。ひさしぶりに訪れる故郷はすこしだけよそよそしい表情を見せる。
ものすごい量の情報やことばが駆け抜けていく。
まるで新幹線から眺める景色のように、豪速で。

駆け抜けているのは自分のほうなのか。

それから無尽蔵に迫り来る、新しい景色。
思いがけない笑顔、かわいいやりとり、美しい予兆。
幾度となく、とめどなく。

光合成

遠く離れたところから見ると、その美しい全体像をつかめる。
近くに佇むと、その繊細な木肌のぬくもりを感じられる。
大雨から動物たちを護り、強風にも耐える強い根を張る大樹。
その樹冠は数キロ先まで広がりそうに生い繁り、小鳥たちはそこに集い、巣を創る。
幾千、幾万の葉は陽光を受けて力を培う。
葉脈を走らせ、全身に養分をいき渡らせる。

―鼓動。

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地球まるごとひとつの生命だとすれば、わたしたちもひとつひとつの細胞のようなものかもしれない。
懸命に暮らす、かけがえのない。

思いきり伸びをして、大気を吸う。
空を胸に含み、あたたかな思いを吐き出す。
潤いに満ちたことばとともに。

いつでもここに元気玉。

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