ただいま、日本 ―デトロイトより、暖かな思いを込めて―

デトロイト空港は巨大で、洗練されてたデザインで作られている。
もうどこにもサボテンや椰子の木の気配はない。
夏の休暇を過ごしたような人びとよりも、ビジネスマンの姿が多く、歩行速度が速い。

またも遅延のアナウンス。
往路のような特別なフライトチェンジはないらしい。
友人と、英語の世界から離れるのさみしいねと話していたのを神様が聞いて滞在を伸ばしたのかな?なんて言いながら、すでに時差ぼけの頭がぐるぐるし始めている。

今回は、はじめてのひとり海外でどきどきわくわくしていたのに、驚いたのは、なによりも、どこまでも「私」がついてきたということだ。
なにを見ても、どう話しても、しつこく頑健に、私は私のままだった。

モーテルの部屋には陽の光が射さなくて、ごはんはなんでも多過ぎてヘルシーじゃなくて、フライトチェンジで睡眠は足りなくて、砂漠の気候は想像を絶する過酷なものだった。
暑いのが好き、というのをもう今後はやめようかという気になるくらいに、本気の暑さを体験した。乾いた空気が皮膚という皮膚を刺し、ぐぐぐっと押してくる。
その熱気のなかを歩くのは無謀。アメリカは、でかい。
宿泊費をけちって郊外のモーテルに泊まると、結局は移動に経費がかかる。勉強になった。
ダウンタウンのスーパー近くに、キッチン付きの宿泊施設をとるのが賢いのかもしれない。調理をできれば、健康の維持もしやすい。

セドナでの数日間のことは、まだうまく言葉にならない。

心地よかったのは、人びとの気軽な挨拶とスモールトーク。
Hi,How are you?
How’s it going?
Good! Thank you.You,too.
言葉を交わさない場合でも、口角を上げたにっこり笑顔。
そして、海岸沿いには日本の南島のそれと同じく、ラフな服装でくつろぐ人たちの姿。
その伸びやかな様子を見ているのも気持ちがいい。

すごい量のごはんを食べているだけあって、恰幅のよい人が多い。ファッショナブルという言葉に収まるのかはわからないような奇抜で魅力的な装いの人もたくさんいる。

幅が広いのは、人種に限ったことではなさそうだ。人びとの価値観や、好みや、望み、願い、その幅の広さと、それを体現している度合いが半端じゃない。

たまらん。
このカラフルさが、たまらない。
鮮やかに彩られたジャングルにも負けない豊かさだ。
赤、黄色、青、緑、オレンジ、紫、白、黒、茶色、金、銀。
色と色の間に限りなく存在する、無数の色。
それくらい、それ以上に人間は多様で、なんでもありで、おそろしくて、美しい。

こんなところに、いたいなあ。

ものごとが多様であること、変化に富んでいることが心地よい。
いつもなにか動いていて、エネルギーが流れていて、たったの数秒間、目を離しただけでも、肝心の瞬間を見逃しそうなくらいに貴重な光景。夏の日の夕焼けのように、圧倒的な。

そういうものを、原色を用いてより濃く深くして激しく表したような、United States of America.

けっこう好きだな。
ちょうだいって言わないと、余計な袋やスプーンなんかをくれないところも、お店の案内がなんだかそっけないくせに、すごく素敵なアートがそこかしこに展開されているところも。

わからないことは聞けば誰かが答えてくれるし、深入りはしないのに、暖かい。

少しだけ、差別の現場にも遭遇したけれど、どこにでもそういうことはある。旅先で少し緩んだ心にたった一滴の黒いインクを垂らしたように暗いものがひろがる。コールタール のように、粘り気のある苦々しい感触の。

そのすべてを内包して、だだっ広く繋がる大地。広い土地は、やたらと高いビルを作らせることなく、少し小高い丘に登れば、大地の向こうに赤い山々が見える。
空の青、雲の白、山の赤。
日本では見かけない景色。

何度でも来たいな。
大きなものに、包まれに。

でもとりあえず、うどんとか食べたいな。
だしがうんと効いてるやつを。
もうじき帰るぞ、日本に。

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