ぼんやりとした頭でキッチンに立つ。
冷凍室から取り出して鶏ひき肉を解凍する。
そのあいだに、葉野菜を洗って冷水に浸す。味を失わないよう、短時間。
前日にゆでておいたじゃがいもにチーズ、ツナ、少量のパセリをあわせてポテトサラダ。
コショウ強めがおすすめ。
同じタイミングでお湯を沸かし、出汁をとる。
夏でも味噌汁は欠かせない。ここ数年、こうじ味噌が美味。
具材はシンプル。えのきの白と、さっとゆでたほうれん草の緑のコントラスト。
しょうがを擦って、砂糖とみりんと醤油をあわせて鶏肉を漬ける。
菜箸は6本、ひき肉がぱらりと散るように。
いり卵は絶対に焦がさない。
鶏そぼろご飯、スパイシーポテトサラダ、えのきの味噌汁。
BBCで放送している「ナイジェルのシンプルメニュー」が好きで、
英語環境の一環とも思って何度も何度も繰り返し観てる。
撮影の角度とか、使われる文字のフォントとか、ズームのタイミングとか、とにかくドラマチックで美しい。
料理は作品。
すぐに食べてなくなってしまうけれど。
食べるところまで含めた完成度が勝負。
いちばんたのしいのは、味付け。
はじめての、難しいレシピ以外は計量しない。
なにを感じているのかわからないけれど、「今だ」っていうタイミングがいくらでもある。
滴々とたらす醤油の、1滴まえでも1滴あとでもだめな、絶妙の瞬間。
―0地点、動くな。
手をとめる。
やりすぎたかな、やっぱりな。
たりなかったかな、やっぱり。
熱でも出ていない限り、だいたい当たるそのタイミング。
似たようなことが、ほかにも。
腹八分とか、ほどほどにとか、そんな適当なぬるい話じゃない。
もっと的確で1ミリのずれも、一瞬のゆらぎもない完全な瞬間。
細い、細い針で瞬時に突くように。
海に潜るとき、
適正なおもりをつけて、潜水して「中性浮力」というのをやる。
沈まず、浮かず、そこにあるように。
ぴたっときまると、重力を感じない。
ふわふわも、しない。
水と自分は一体で、上下も左右も意味を持たない。
文章を書くとき、
するするとペン先から文字がこぼれる。
思考しているという意識もなく、ほとんど自動的に。
できあがると、ひとつの作品は自分の分身。
絵も写真もそれとかわらない。
美しい風景に遭遇したとき、
身体の存在を忘れる。
0地点に戻る。
重力も、上下左右もない、完全な瞬間。
目が覚めて、思いつきで出かける、
何千万の葉に光の当たる森の緑道、
照らされた水面が白く輝く凪の海、
枝先にとまったトンボ、
毛づくろいをしあう鳥たち、
雲の向こうから顔をのぞかせる太陽、その圧倒的な強い光、
胸を打つ言葉、
不意打ちの笑顔、
憂いをたたえた指先、
子どもみたいに無邪気なステップ、
遊び疲れたあとのまどろみ、
夢のなか、奇跡みたいな物語、
目覚める朝、快適な部屋、
朝陽、
くりかえし、∞
すべての瞬間、いつだって0地点に還れる。
ほんとうにしたいことなんて、それだけなのかもね。
すきな場所には、そのチャンスが散りばめられてる。
星の数よりももっとたくさん。
だからそこに行く。
そういう場所を、私は創る。