ずっと欲しかった小型のつめきりを買った。
やたらと頑丈なビニールで密着するように包装されていて、開けにくかったが、取り出すと実によいサイズの、使いやすい品物だ。シンプルで、シルバーで、かわいい。

観光らしいことは、どこに行ってもいつもあまりしていない。
とくにひとり旅では。
旅の間に必要になったものを買いに出たり、洗面台で洗濯したり、調理台が部屋にあれば土地のものを使って料理をしたりする。日中は、カメラを持って景色を狩りに行く。朝と晩に散歩に出る。夜には、その日に浮かんだことをスケッチブックに記す。一眼とスマホにおさめた風景や人やものを眺める。地産の紅茶かお酒がお伴になると、なおよい。

今朝、旅の前から気になっていたささくれを、新品のつめきりで切った。
たぶんこれからも、
どこまでも飛ぶし、どこまでも潜る。どんどん進む、命ある限り。怪我しても、倒れても、立ち上がってまた前へと。
自分の意志で、自分の速さで。嵐のなかも、舵をとって。
それが確固たるものとして感じられた、5日目の朝。

なるようにしかならないのだと、受け入れて落ち着こうとすること。なんとかしようとしてもがいて苦しくても押し通そうとすること。いったいどっちが自分に正直なんだろう?
そして、どうすることがどちらの選択に当てはまるといえるのだろう?
後者をとって進むために、できることはなんだってする、そう決めたとき、まるで前者のようなところを通る時間もある。一見、それは不自由さとして映るのかもしれない。
要るお金を貯めるための仕事や時間とか、力をつけるための修行や訓練とか。
そこで真剣に戦っていると、いったいなんのためにやっているのかわからなくなることがある。力を注げば、注ぐほど。
だから、きっと、

―――本当の名前を忘れてはいけない

If you completely forget back it, you’ll never find your way home.
by “Spirited Away”, Haku

今日、麗しいリゾート地から、ワイルドな荒野を含むはじまりの土地に向かう機内で、私は気がついた。

雲の上は、いつでも晴れているのだ。

地を踏みしめ、空を見上げたとき、どんなに厚い灰色の雨雲でも、その向こうに太陽を感じられる。
曇りの夕刻、ほんのわずかなすき間から射す一筋の光に出会うとき、わたしたちは本当の名前を思い出すことができるだろう。

荒野をゆく修行の日々は、虹のかかる楽園への布石に過ぎないと、思い起こすことができるだろう。

雲の向こうのわずかな光、小説のページの美しい一行、ふと目が合った瞬間に高鳴る鼓動、魂を震わせる煌めくような音楽の一節、優しい夢を見たあとの休日の朝のまどろみ。

未来へと向かう、現在の途中、そのなかにも、Happyの種はとめどなく溢れている。
そこから出た芽を愛でて、育み、輝く緑道を進む。
雨も降らなきゃ、育たない。
どんな花が咲くのかな。
天に届きそうな勢いで伸びる木々の間を、虹に向かって歩いていこう。そこをたよりに歩いて行けば、行き先を間違うことは、きっとない。
本当の名前を、口ずさみながら。