数か月ぶりに、何人かの友人たちに連絡をとった。
多忙な日々を理由に、お茶の誘いを断り、恒例だった旅行を中止し、みんなの近況もSNSではほんとうにはわからなかった。
夕刻の出張帰り、道に迷いながら電話をかけた。
コール音の鳴るなか、それぞれの顔や声がすぐそこに掴みとれそうな距離で蘇る。
数時間後のコールバック。
LINEでのやりとりがまどろっこしく、たいていはどちらが電話をかけて声を聴くことになる。
疎遠にしてしまっていたにもかかわらず、数か月の隔たりなどなかったかのように、人懐こい笑顔の声。
会って別れたときと寸分違わぬトーン。
さっき抱き合って離れたばかりかのような錯覚。
何年会えなくたって、変わらない打ち明け話、ちょっとした悩み相談。
声ってなんだろう、体温さえ感じる。
そこにいることを、確信する、身体で。
仲間や家族がいるということにどれだけ支えられているのだろう。
みなそれぞれなにかを抱え、日々を闘い、命を燃やしてる。
ありがたいという言葉も、運がいいしそういってるとさらにツイてくるという言い回しも、あたりまえになってきて、慣れ過ぎて、そのよさを味わうという丁寧さやあたたかさを、少しだけ置いてけぼりにしてしまっていたらしい。
よきものを感じて大切にして、愛されて、優しくなって、気づけばそれが反射されて、同じものがかえってきて、循環して、たしかなメビウスの環がそこにはある。
それ自体がハッピーなことなんだってちょっとだけわかった気がした。
バラエティに富んだ、とがった個性のみんな。
不器用ででこぼこしていて、一生懸命な仲間たち。
出会えたこと、知り合っていけること、本気でぶつかれること、仲直りできること、結局は大切に思ってるってこと、ぜんぶ込みでいつだって包まれてる。
そんな素敵なこと、ときどき忘れかけてしまうけれど。
言葉も出ないような、荘厳な夕焼けがそこにあって、
南風が細い髪をふわっと撫でて、
広がる大海原を目の前に、
これまでの航跡を讃え合う、
明日の計画に心を躍らせる、
そして、今晩の食事について話し合う、
水面はきらきらと、隣国へとバトンを渡す太陽を映して、
未来を見据える眼差しの横顔をやわらかなピンク色に染める、
どこからともなく、弦楽器と吹奏楽器の音色が響いてきて、
素人にしては上手だと笑って、
そのリズムに合わせて足取りも軽やかに、
宝物でいっぱいの我が家に向かう、
錨は強く深く、
海賊船は自由に航行する。
彩ゆたかなトルティーヤ、
もうこんなにも包むものがたくさんあって、
ひとつひとつ美味しくて、
集まったらもっと美味しくて、
歩き回って直観と勘を頼りにお気に入りを集めたら、
きっとみんなも好きな味。
もうほんとうは叶ってる
そんなわたしをみんなが知ってて、知っててそこにいてくれる
ひっくるめてまるごと、HAPPYに向かってる
それはすでに、幸福のかたちをしてる。
ここからはいつ果ててもかわいそうなんかじゃない。
あとは目に見える現実がそれについてくるのを見たいから、
それがただおもしろいから、
楽しんで、
想像して、
創造するわたしとみんなのパラダイス。
窓の外が白んできて、新しい陽の光が照らす心地いい部屋。
そこから一歩、幸運の左足で外界に出でる。
今日も、楽園を創りに出かけます。
歩いた一歩一歩、その軌跡に新芽が芽吹くように。
こんなふうに書いている朝、こうして言葉が流れ出るような時間、
それのできる基盤のある暮らし、まったくもって、よき日々を重ねてると思う。