珈琲豆ストアにて

翌日に訪問する恩師への挨拶に、美味しい珈琲豆を買いに寄り道した。
生まれ故郷の街の住宅街、その一角に建つ洗練された平屋の店舗。
数年前に訪れたときには、濃い色の木肌が印象的な喫茶店だった。
改装して、豆の小売を専門とすることにしたらしい。
軽食メニューにあった、ひとつひとつ種類のちがう小さなサンドイッチや、よく煮込んだカレーが懐かしい。

午後7時、とっくに日の暮れた町はずれ。
一方通行の小道に車を停めて、オレンジ色の明かりの灯る店内へと入る。
ごく低い位置に置かれたケースのなかに、暗褐色の豆たちがひしめく。
つやめいて、香り立つ数多の種子。
カウンター奥の棚には、さまざまな種類のコーヒーメーカーが並ぶ。
「どうします?」
マスターの気さくな問いかけ。
飲みやすくいちばんの売れ筋だというオリジナルブレンドと、地域の名のついたもので少々迷う。
促され、テイスティング用に設けられたカウンターの席に腰かける。
手際よく沸かした湯で、小ぶりのカップに淹れられる一杯。
きわめて細い注ぎ口の、洒落た形のポットで、少しずつ。
湯気が立つたびに、香ばしさが、天井の高い空間に広がる。
部屋中の大気が色づくように、香り立つ。
オリジナルブレンドのお伴は、ビターチョコ。
きりりとした舌触り、それでも、安らぐ。

すっきりとして、後味の雑味はなし。
幅1.5センチから2センチほどの薄くて丈夫な帯、色は薄黒から薄墨色。グラデーションあり。
帯の外がわにいくほどに色は薄くなるが、端の部分ははっきりとした濃い色だろう。
そのような味をじっくりと、とっぷりとつかるように堪能。
これはこの豆の味なのか、マスターの淹れ方がこの味を生むのか。
いずれにせよ、深く、品よく、カジュアルでありながら細部にわたって造りが丁重な、美味なる一杯だ。

「最近は、酸味の人気が戻ってきてるんですよ」

マスター談。
オリジナルブレンドは、酸味を感じさせないですねという話題から。
人気の酸味とは、ことばから連想するような酸っぱさや苦みのことではなく、りんごの後味のさわやかさのような酸味だという。
話しながらスマートに流れるようにカウンターの内側を行き来してポットや器を扱う動きから目が離せない。
店内に入るときのわくわくから、入った瞬間のほわんとした香しさ、マスターのキレのある美しい動作と珈琲にまつわる豊かな話題、
味見、豆を選ぶときの贅沢で甘みのあるつかの間の悩み、贈り物用の袋を手渡されるときのみずみずしい嬉しさ。
週末に入る直前の晩の、幸福時間のパッケージ。

一杯のコーヒーのあたたかさと、その味。
それを引き立てる、人のあたたかみ。
「珈琲豆ストア コモン」

よき店、またひとつ発見。