月: 2015年9月 (3ページ目 (4ページ中))

弛緩、緊張、再び弛緩 ―カリフォルニアより、祈りを込めて―

風は乾いていて、
水はさらりとして、
空はどこまでも広い。
モーテルの敷地には、見たこともない大きさのカモメたちがいて、外の3車線には背の高い椰子の木が果てしなく立ち並ぶ。

―――西海岸。

空港からのタクシーの後部座席、数分もたたないうちから、目の下に痛みが走った。とにかく空気が乾いている。
運転手は、お兄さんからおじさんになりかけの年頃。日本はもっと湿気があるよとか、この町はとても綺麗だから写真をとるにはもってこいだよ、とか世間話をして、ほどなく宿に着く。降り際に渡されたナンバーとファーストネームを書いた紙。明日は忙しいけど、明後日は空いてるから案内するよ、無料でいいから、と人懐こい笑顔。これは、どう判断したものかと一時迷ってしまう。返事を待たずに、タクシーは走り去る。
無料、に期待したくなるのは「チョコレートあげるからついておいで」に引っかかる子どもと同じか。時差の調整が追い付かない頭で、最大限アンテナを張ろうと試みる。
旅先の、人との出会いは際々のところでチャンスとリスクに分かれる。素晴らしいものを拾う絶好の機会と、命の危険は、ときどき隣り合わせ。
今回は、行かないでおくだろう。
ここは銃社会で、私はひとり。
だいたい、無料につられてどうにかなるなんて、目も当てられない。

昔もあったな。免許取得合宿の旅先で、タクシードライバーの誘いで、所有する小型船に乗せてもらって、シュノーケル。友達と一緒だったし、いつも見ていたのとは赴きの違うサンゴや魚を、ものすごい透明度の水中でたくさん見られたし。

やっぱり今は、それとはちがうぞ。
海岸の街では、気の引き締まるような出来事が続く。海際では、少し気が緩みやすいのかも、注意注意。

この国の食べ物は、なんでも大きすぎて、濃い味。毎日身体にいいもの食べれてるんだなあと実感。
なにもかも素敵で、風景も英語も、こういう場所が大好きだけど、私はだしの味が欲しい。
味噌汁でもうどんでもなんでもいいから。少しでいいから。
それに、揚げ物とかピザとか、美味しいけれど、もっとみずみずしくて、新鮮なものを見たり触れたりしたくて、ダウンタウンのマーケットに向かう。

感激。
ただのスーパーなんだけど、すごい量の野菜と果物、でかい肉と、山盛りのシーフード!ひとり分なんて発想のなさそうな売り方だけど、バナナだけは一本売りしてる!「Take me ! I’m single !! 」って書いてある。可愛すぎる、即買い。シングルバナナを2本、ペアにしてバスケットに入れて、鼻歌混じりに巨大なモールを進む。生き生きして、よみがえる私の身体よ、ここ数日の酷使を詫びるよ。ヨーグルト、水、食べたいものは、身体の欲するもの。ここは命の補給ゾーン。スーパーや、商店街に並ぶ生鮮や、食べ物を見ていると元気が出る。

旅先では、その地のものを食べて過ごすと決めてこれまできたけれど、今回は早くも断念。
私はサーモンも大好きなのだ。なんだよ「Tsumami combo big」って、と変なネーミングに心のなかで毒づきながら、つやっと光るサーモンの握りを、ランチにすることにした。海岸を見下ろす位置にあるテラスの、パラソルの下で。眼下のヨットハーバーと、遥か遠くにそびえる赤い山々を眺めながら。なかなかすごい量の寿司をたいらげている間にも、ランニングをするおじいさんや、ヒスパニック系のカップル、犬をつれた中年の女性、いろんなタイプの人たちが、How’s it going? Hi, how are you? と挨拶して通っていく。

なんて気持ちのいい場所なんだろう。

たくさんの人、いろんな人種、気軽なあいさつ、運動する人たち、そこに降り注ぐ陽射しと、やわらかい海風。

ダウンタウンにはいくつものオープンカフェが立ち並び、私は2軒をはしごした。歩きすぎて、足にまめができてしまった。いつも、限度を超えて歩きすぎてしまう。2軒目のテラス席で、一眼に納めたクリアな世界を反芻するように眺めたあと、閃きをメモしていると、斜め前の席にいたおじさんが声をかけてきた。英語は大丈夫かと聞かれ、少しと答えた。おじさんのアドバイスはただひとつ、この素敵なカメラを身体から離して置いてはいけない。肩が凝って、ストラップごと丸テーブルに置いていたのだ。親切なおじさんは、よい旅を、と丸く笑って手を振った。迂闊なところを、助けられた。

帰りのタクシー、運転手はエチオピア出身だという同世代の青年だった。英語は簡単じゃないねと話すと、「practice practice」と言い自分もまだまだ練習中とお茶目な笑顔を見せた。その後、結婚はしてるのかとか、日本の製品はやっぱりいいよとか、質問や、小話をいくつもして、またカモメだらけのモーテルに戻った。
ちいさなことでも、あえて聞いたり、話しかけたり、声かけに応えたり、意識しないと、意外と普段の生活よりもお喋りしまくることの多くないひとり旅。クリーニングを断ったために部屋のトイレットペーパーがもうすぐなくなる。フロントを訪ねて伝えようとするも、またしても「towel?」と聞き返される。もうなにを言っても、タオルの人なんだろうか、私は。

そろそろお酒が恋しくなって、目と鼻の先のリカーショップまで散歩する。ほとんど全ての商品が少なくとも6本パックになっていて、さすがによう買わん。それでもがまんできずに、明らかに大きすぎる、そして太すぎる缶のハイネケンを購入
、しようとするとIDはあるかと問われ、パスポートを提示。日本人は若く見えるから、と店員。

シャワー後のとっておきの楽しみにしていたビール、どうして冷えてないんだろう。どうして冷蔵庫のコンセントが抜けているんだろう。本日も、おあずけ。

気を抜かないで、しっかりするんよ、というメッセージたっぷりの3日目。気づいたら英語を話している瞬間が何度もあった。旅行者として滞在していることに、ほんの少しだけ慣れてきたのかな、というときこそ危ない。運転と同じだ。だいたい、基本危なっかしいんだから、もう少し気を張らないと。

リラックスしたり、気を張ったりして、いつもと違う景色のなかに身を投じて、その地を肌で感じて、電流がびりびりと走るみたいにワクワクして、こうして楽しむ感じは、はじめてのときこそピークなんだよな。世界は大きくて、時間はまだまだありそうだから、何度だって「はじめて」に出会えるね、と自分に言ってあげる。

日が長い。
視界には、こくのある青い空と、カラフルな旅客機。
そこに、大きなカモメたちのランダムな飛翔。
空港を飛び立つ飛行機の音が、スマートホンから流れる素敵な曲をつかの間、かき消す。
この心地よい全体を、くるっとひとまとめにして、キャンディにしたらどんな味がするだろう。
すっきりと甘くて、後味もさわやかで、きっとみんな好きになる。

酔うのはやめて、気持ちよく眠ろう今日は。

冒険の幕開け ―アリゾナより、祈りを込めて―

オーバーブッキングはラッキーハプニング。

スターフライヤーという名の漆黒の旅客機に乗って、思いがけず、九州へ。私の生まれる10年ほど前にこの世を去った祖父の出生の地。お祖父ちゃん、寄りたかったのかな。
福岡空港で急ぎの乗り継ぎのためお世話になったグランドホステスの美女から一言、「旅慣れてる感じでいらっしゃいますね」。
初めてだぞ、国際線ひとり旅。
ターミナルを渡す古いシャトルバスから見えた高いビルの上の看板には驚きの文字「古着屋 西海岸」。
行くぞー、今から。
外資系航空会社のカウンターでは、年若いスタッフが丁寧に対応してくれた。ちょっと厳しそうな先輩から、搭乗手続きの未完を注意されながら。ごめんね、私が着くのがぎりぎりだったんだよ。

ビジネスクラスってこんなに広いのか。隣のひとに「どうも」とか行って行き先を訪ね合ったりしないのが少し物足りない気もするけれど、なんだか優雅な気持ちでハイネケンをいただく。
機内のアナウンス「Ladies and gentleman, ALO~HA!!」テンションがあがる。
この先にまだまだハプニングが続いていくとも知らずに。

ホノルル空港、湿気の多い南国の風。朝だか夜だかよくわからない頭と身体で入国審査へ。人気のドーナツ店かと思うほどの行列。このあたりから、体調が変化。いつもに増して、思考がついてこない。小一時間、並んだ後にようやく辿り着いた窓口、審査官との英会話。かろうじて通じたが、職務的な質問に対して、世間話で答えていたのは時差ボケのせいか、違うのか。友達が来るまではひとりなので緊張してますが、初めてのことでわくわくしています、みたいな。職業を訊かれて、難しい仕事で苦労もありますが、学ぶことも多いです、とか。

ロスへの乗り継ぎのため、同じ航空会社のカウンターでまた短い行列。そこでは、私の居住地の隣町で暮らしているという米国人男性がにこやかに話しかけてきて、少し和んだ。子どもに英語を教えているという彼は、サイキックなのか、私の身近な事柄に関して言い当てることをした。
順番がきて、カウンターでは衝撃の事実が判明。2回目のフライトチェンジ。今晩ここに泊まるホテルの保証か、ワイキキへのタクシーチケットか、どちらかを選べと。この際どちらもありかとも思ったが、アリゾナ到着の翌日、次の移動を控えていてその航空券は変更不可。事情を伝えると、別の会社の便で直行があるから、とそちらに案内された。移動のために与えられた時間は短く、空腹と眠気が襲うなか、足早に搭乗口へ向かう。
21番ゲート近く、閃きをノートにメモしていたら、上品なシルバーヘアの女性に声をかけられた。何を書いてるのと訊ねられて、見せると親しげに世間話が始まった。彼女はミネソタに帰る途中で、横にいる大柄の男性を「これが私の夫なの」と紹介した。そして最後に、私にphotographのphの発音をレッスンしてくれた。彼女の残した「bless you !」という響きが美しく胸に残っている。写真を出展しているクリエイターズサイトのURLを載せたカードを手渡さなかったことを、後になって少しだけ悔やんだ。

今度は普通のエコノミーの座席の上で、シートベルトに締め付けられながら、我慢の時間が始まった。
時差の計算がうまくいかずに、到着時間だけを知らされて、いったいあと何時間、身体を縮こまらせて同じ姿勢でいなくてはならないのかわからずに、忍耐モードに入る。辛抱という字は辛いを抱くと書くのだと実感をもって味わいながら。到着まで30分を切ったと告げられ、少しだけ、エネルギーが復活した。着陸態勢に入り、ようやく身体を横たえるイメージを持てるようになった。柔らかいベッドで眠るなど、そんな贅沢は貴族の行いのように感じる長い長いフライトだった。

バゲッジクレームはどこかとか、シャトルはどうやって拾うのかとか、大丈夫そうな人を選んで尋ねてみて、親切な人たちの案内と、ちょっとしたジョーク混じりの会話に救われて、ホテルまでもう一息。しんどいけど、意外と体力なんとかなるなとほんの少し元気な雰囲気を取り戻して到着した。
だがしかし、今回唯一、最初の晩だけはと特別に予約していた上等のホテルの、私の予約は消えていた。夜中に、くたくたで、はらぺこで、お風呂にも入れてなくてようやく辿り着いたその場所で。人の良さそうなホテルマンは申し訳なさそうな顔で、何度もパソコン端末を確認し、予約を通した会社に問い合わせるべきだと言った。私をホテルまで運んだシャトルの運転手まで登場して、何人ものスタッフが、あれこ
れ調べたり、予約会社の人と電話で話したりして、とにかく最初の夜に、安全な部屋で滞在できる運びとなった。一刻も早く眠りに就きたいのに、ソファに腰かけて、しばらく身動きを取らなかった。よくわからないけれど、日本を発ってからここまでの全体の出来事を、柔らかいソファの上で、全身に染み渡らせているような、なんとも言えない時間。

町の人々はいまのところとても親切で、旅の印象は楽しい香りがいっぱいだ。
ただ、英語を話す人々がみな自分の先生のわけもなく、話すスピードには容赦がない。周辺の地図を求めると、タオルが手渡された。mapはmopではないのだ。発音の不備を詫びると、ホテルのスタッフは「don’t worry, you’re ok」と言った。
空港のセキュリティチェックで、金属がないのに何度も引っ掛かりタッチされたときにも、同じ言葉をかけられた。温かい笑顔だった。

「You’re ok」その言葉をもらうと、ほわんと心に火が灯る。

旅路、鼓動。

数日前、帰宅するとマンションのオートロックが勝手に開いた。
昨日、早い時間からものすごい眠気がきて、
今朝、触ってもいないPCの電源が入り、早朝の静かな部屋にモーター音が響いた。

大きな体験の周辺には、いつも不思議な出来事が重なっている。
おもしろさと、ときめきと、わくわくと、ひやひやの、すごい高さのミルフィーユ。
その色はたぶん、レインボー。

もういく晩か眠ると、見たこともない、出会ったこともないことだらけの旅に突入する。
夏がきたころには、わかりやすいどきどき感でいっぱいだったのが、
気が付くと、逆に考えることが少なくなって、想像力が一気に衰退してる。
言葉にならない感触だけが胸の真ん中あたりに衝撃を与える。
その音すら、表せない。

18歳、はじめての長期ひとり旅。
もう十数年前。秋の気配をほんの一滴だけ垂らしたような、つるりとした気持ちのいい夏の日。
港へと向かう道すがら、バス停の名前にも「潮」や「汐」のつくようなものが多く、気持ちを駆り立てる。
港にはひともまばらで、
送迎デッキには、母と、微妙な距離をあけて、当時の恋人が並んでた。
心配を通り越して、わんぱくな少女を送り出す、なかばあきらめの面持ちで。
汽笛が鳴り、物資と少しの乗客を乗せた大きな船は出航した。
ダイバーとおぼしき褐色の肌の女性は関西の港で下船。
あとは、会社を辞めて長旅をしているという人のよさそうな小太りのおじさんと、わけありだと語る若い父親と息子。
船上の3泊、お菓子やつまみを持ち寄って星空の下でする宴会は新しい体験で、大人になりかけてると錯覚した。
彼らから見たら、生意気で危なっかしい10代だったろうと今は思う。
そしていまも、そう変わらない部分があるにちがいない。
見るものすべてがめずらしくて、おもしろくて。
目を大きく開いて、新しいなにかを取り込もうとして、ほとんど自動的に本能と好奇心がフル回転。
着いた港の海水はエメラルドグリーン。
数時間後には、その緑がまだまだ濁ったものだと知る。
離島の浅瀬には、色がない。クリアな、どこまでも透明なゼリーみたいなぷるりとした手触りのサンゴ礁の海。
コインランドリーではヤモリが鳴き、バーからの帰り道では子犬ほどのフルーツバットがばさばさと目の前を横切り亜熱帯の街路樹にぶら下がった。
付け加えるなら、光る鳥の大群も見た。
後に聞くと、それは生き物ではないということだった。UFO?
ほんとうに、すべてが新鮮で、感動しかなくて、ひとりで歩きながら笑顔がはみ出そうになるくらいに楽しかったあの旅。

たぶんそれを超えるものが、次の旅にはぎっしりと、びっしりと詰まってる。

そして、ひとりで歩いていると自分自身との対話が促進される。

土産話をシェアすると、たいていそれは未来につながる。
そういう旅は、
「楽しかった」「いい旅だった」では終わらない。

声に出して、その声を自分の耳で聞いて、もう一度それを脳に戻して、おまけにそこに話し相手の声が入って、情報が混ざって、ということをしながら思いは熟成され、不必要なものがそぎ落とされて修正される。マイナーチェンジ、微調整を経て、未来についての計画の精度が上がる。
勘で始まった物事が、そこを通ってなにか素晴らしい現実を形作る。
形作る間にも、次から次へと勘が動いて、パラレルに、いくつもの伏線が進行する。
まったく別に見えるようなその線の先すべては、たったひとつのなにか大切なものにつながっているかもしれない。
それはなんだろう。

大きいことの前、やたらと眠くなる。
一説によれば、体験に備えて魂がエネルギーを蓄えようとするからだとか。
ほんとうかどうかは別にしても、考える余地も余裕もないこの感じがきっとすべてを示してる。
あまりにも素晴らしい時間を持つと、それがなかったときの自分にはもう戻れない。
それを味わった人間、という位置より前には二度と帰れない。

旅に出るから、そんなことを思って画面のキャンバスに言葉の絵の具で描いてみると、松尾芭蕉の言葉が心に響く。

月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。

日々旅にして旅を栖とす。

もうこうなってくると、日々はまちがいなく大いなる旅路としか思えない。

舵をとる

水平線の向こうに新しい水平線が見える。

それをどこまでも追いかけてきた。
道すがら、たくさんの人に出会い、話し、経験を分かち合い、
穏やかな凪の日も、灼熱の太陽も、極寒の吹雪も。

何年か前、友人が言った。
—-どんどん新しい人に会って、楽しい雰囲気を残して去ってくね。
たしか、そんな言葉だった。
ちょうど職場を変わるときだったから、「おつかれさま」の言い換えだとそのときは思った。
留まる気配を持たず、その先へと進み行こうとする私を彼女はよく見ていたのだろう。
可憐に見えても決して気の弱くない彼女、自分のペースをきちんと作って、実際に彼女はその後も強く逞しく働いて、今はもう独立している。
そうなるまでの間にも何度も時間を共有して、近況を報告して、彼女の発する美しい気を浴びて、私はいつも浄化されているような気分だった。

だから、楽しい雰囲気はお互いさまのこと。
どこかへ向かう途中、たくさんの人や出来事に出くわして、なにか起きて、泣いたり笑ったりして。
長く同行することもあれば、一夜(朝でもいいんだけど)だけ濃密に関わること、雨に濡れて一時的に雨宿りするような知り合い方もある。猛烈な嵐を切り抜けるまでともに過ごす間柄も、甘い甘いトロピカルな風を頬に感じて喜び合うバカンスを楽しむ関係も。
人は誰でも、そうしていろいろなテーマや意味を持って人と知り合って、どこかへ進んで行く。
一緒にいても、それは小舟が寄り添って航行しているようなもので、
自分の船は、自分で舵を取る。

友人は私の航行を見て、
えらいあちこち寄港したり、伴走したりしてせわしないと思ったのかもしれない。
そして、あっという間に姿が見えない距離に去っていくことを感じたのかもしれない。
私の身体はたしかにここに、こうして在るのに。

心地よい寝室を染める黄金の朝陽、夏雲と青空のコントラストに導かれて、そういうものに魅かれて、
むしろ引き込まれて、出掛けずにはいられない。
羅針盤の指し示す、よきものの待つ方向へ。

つきぬけるような快晴の朝に

よく晴れた朝、少し早く家を出て空を見上げる。
高度10,000メートルの上空、機体から伸びる真っ白な飛行機雲。
地平線に近づくほど、空の青は薄く、透明になる。
絵の具とも海とも違う、澄みわたるクリアな青。
大気中のいったい何に色がついてこんなに安らぐ色が生まれるんだろう。
遠い異国へ向けて、経由する成田へと向かういくつもの白い機体。
何本も伸びる、飛行機雲。

人もまばらな朝の時間に、それをカメラにおさめるのは私の小さな楽しみのひとつ。
あんな高さに人体がいくつもあって、今まさに、いっぺんに移動しているなんて不思議。
その機内に思いを馳せる。
どんな人たちが、どんな格好をして、なにを話しているのだろう。
どんな言語が飛び交い、そこにある飲み物や食べ物は、どんなにいい香りを発しているのだろう。
ビジネスの旅、帰省の旅、新婚旅行、はじめてのひとり旅。

朝八時。
空港島から放射状に放たれたジェット機たちが、私の住む街から見える。
鉄でできたとは思えないほど、軽やかに、なめらかに大空を横切る。
いくつもの旅を乗せて、まっすぐな白い軌跡を描いて。

空港も、気持ちがいい。
高い天井は心身をのびやかに緩ませてくれる。
巨大な窓ガラスの外にはどこまでも見渡せそうな海と空。
外国語のアナウンスも耳に心地いい。
見送る人、旅立つ人、ただ飛行機を見に来ただけの人。
思い思いに時を過ごす人々を眺めるのもいい。
人々がそれぞれに自由の気配をまとい、泳ぐように空間を行きかう。
お風呂ともマッサージとも違って、ほどよい緊張感を保ちつつもリラックスしている。
だからときどき、用がなくても空港に出かける。
そのきれいな場のエネルギーを、ただ味わうために。

いつだって、なにかを感じたくてどこかに辿り着く。
その感触を味わいたくて会いに行く。
きらめくような生命力を感じる人。
大地のパワーを宿したような安心感をもたらす人。
流れる水のような清らかさを持つ人。
咲き誇る南国の花のようなよき香りを、その存在から発する人。

辿り着いたその先で、ともに味わう夢みたいな現実。

空を見上げて、白くまっすぐな雲を眺める。
明日も晴れて、と小さく祈って。

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