月: 2015年9月 (2ページ目 (4ページ中))

台風一過のテラス席

「午後から休みます」
言った途端、雲が流れ去る。
青空、晴れ渡る残暑の。
週半ば、急遽早退して街方面に繰り出す。
隣町のオープンカフェ、台風一過の風が心地いい。
束ねた髪をさらりとほどくと、新しいシャンプーの香り。
思い出す、海で遊んだあとのシャワータイム。

午前中のひと仕事、ポスターをデザインして配色を調整。
本職ではないけれど、楽しい。
それでもねー、外に出たくなるんだなー。
蛍光灯の部屋、椅子に座る数時間、うずうずうずうず…。
そこでひと言、「ここまでやったら今日は帰ります」。
最近やりがち。

今日の判断、正解。
嵐は去った。
晴れ女、パワー全開。
テラス席でのPC作業、適切。
少し歩いた先に、海があったらなあ。
ボードを抱えたサーファーが行き交う、海岸のカフェ。
波の音。

こういうことを思いつく環境に身を置くことの大切さ。
こんなに近くにいい場所があるよ。
イメージが溢れる場所。
思いを育み、希望に変えて、実現に近づける身近な聖地。
そうして島に飛んで行った10代。
そういうのをぐっと圧縮してた20代。
それまでの全部を遠慮なく打破して、進む、進む、30代。
思いついたこと、全部やりたい。
やってみたいことはできること。
おもしろそうなことは好きなこと。
わくわくすることは魂が喜ぶこと。

ひと昔まえの一時、なぜだかちょっと忘れてたそういうことたち。
呼吸が浅く、疲れるのにもの足りない日々。
切なかったな。
イルカが地上で這ってるみたい。
皮膚が乾いて血が滲んで、擦り傷だらけ。
浅瀬から、少しずつ海水に浸かる。
最初はちょっとしみる気がするけど、そんなことない。たいしたことない。
生き返る、身体と心。

隣のおしゃれな男性、仕事の電話かな。自由業っぽい。
斜め向かいの若者2人組、やっぱり仕事の話。IT系らしい。
正面には、台風で休講の学生カップル。垢抜けてて可愛い感じ。
カフェって好き。
ひとがくつろいでいる空間って気持ちがいい。
センスのいい調度品、ダークブラウン。
BGMは洋楽。綺麗な英語。
植栽は若草色。
コーヒーはブラック。
ネイルはモーブ、秋色の。

充電、さしあたり8割がた。

楽園は、こういう場所で創られていく。
また来よう、ここで書こう、何度でも。

雨の日、光る水辺で

何度も夢に見る水辺の景色。
水深わずか数センチほどの浅い波打ち際。
河でもない、水たまりでもない、広い広い海のはしっこ。
どこまでも続きそうな白い砂地。
幅も奥行きも底知れない長さで、黄色がかった薄いピンク色に染まっている。
夕暮れの光があたるとオーロラ色に滲んで、きれい。
視界のところどころに人影が映る。
てろんとした素材のシンプルなワンピースを着た婦人。
サーフボードを抱えて軽い足どりで歩く半裸の若者たち。
ランニングにパンツ姿の子どもたち。

声は聴こえない。
りんりんと響く静かな音だけが耳をかすめる。
なんの音色だろう。
音に合わせて、光の飛び散った水面が反射する。
オーロラ色、ラムネ色、レインボー。

天国みたいな幻想のランドスケープ。
この夢のあと、清らかな気持ちで目覚められる。

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雨の日が続いています。
陽の光が恋しくて、憂いの面持ちで朝を迎えています。

何年も前に、
大好きな夏が去り行くころ、友人に宛てた手紙にこう書きました。
「秋も好きになれるよう工夫したいね」
友人はそのくだりをいたく気に入り、繰り返しその一文を用いています。
それ以来、工夫という言葉を少し気に入るようになってきました。
我慢でもなく、ごり押しでもなく、無理な感じでもなく、可能性に対して知恵を働かせて実際に取り組んでみているというイメージがいい。
ぐずついた天候の続く今日このごろ、
ふとそのことを思い出して、反芻しています。

明るい色の傘、よほどの大雨なら差そうかな。
HUNTERのレインブーツ、大活躍。
雪降る隣県に勤めたころ、買っておいて正解だった。
小学生の色とりどりの傘が通り飾る。
しずくのひと粒注視するとそこには辺りの世界がぎゅっとつまったように映っている。
雷は鼓動、力強く響く。ゼウスの怒り。
灰色の雨雲、勢いよく風に運ばれる。
白い雲がうしろに控えていたんだね。
一瞬の晴れ間、ここから見て手のひらほどのせまいせまい雲の隙間、
強い光、
アスファルトを照らす。
黒い路面が反転して白く眩しく輝く。
ダッシュボードからサングラスを探している隙に、
あっという間にまた曇り空。
この夏の太陽は休暇が長いみたいだ。

わずかな青空、短い晴れ間、その眩しさ、急速充電。栄養ドリンク。

毎日たくさんの発見があります。そこそこ楽しく過ごせます。
工夫を重ねて。
日照時間の長い場所、その土地に暮らすまでは。

こんど晴れたら、
抜けるような青空を背景に写真を撮りたい。
旅の途中、雲の向こうには太陽がいつだって変わらずにあるのだと気づいたけれど、
直に触れたい、光に。
顔が熱いな、日焼けしてるかなと思いながら、歩き回りたい。
いい気分なのにしかめ面なのは、眩しすぎるから。
天高く馬肥ゆる秋、って定番の台詞を言いたい。
秋の味覚に想いを馳せたい。
栗のシールをネイルに飾ろうかな。
季節の変わり目のせつない空気を感じたい。

年末まであっという間。

やってこい、秋晴れの空。

0地点

ぼんやりとした頭でキッチンに立つ。
冷凍室から取り出して鶏ひき肉を解凍する。
そのあいだに、葉野菜を洗って冷水に浸す。味を失わないよう、短時間。
前日にゆでておいたじゃがいもにチーズ、ツナ、少量のパセリをあわせてポテトサラダ。
コショウ強めがおすすめ。
同じタイミングでお湯を沸かし、出汁をとる。
夏でも味噌汁は欠かせない。ここ数年、こうじ味噌が美味。
具材はシンプル。えのきの白と、さっとゆでたほうれん草の緑のコントラスト。
しょうがを擦って、砂糖とみりんと醤油をあわせて鶏肉を漬ける。
菜箸は6本、ひき肉がぱらりと散るように。
いり卵は絶対に焦がさない。

鶏そぼろご飯、スパイシーポテトサラダ、えのきの味噌汁。

BBCで放送している「ナイジェルのシンプルメニュー」が好きで、
英語環境の一環とも思って何度も何度も繰り返し観てる。
撮影の角度とか、使われる文字のフォントとか、ズームのタイミングとか、とにかくドラマチックで美しい。
料理は作品。
すぐに食べてなくなってしまうけれど。
食べるところまで含めた完成度が勝負。

いちばんたのしいのは、味付け。
はじめての、難しいレシピ以外は計量しない。
なにを感じているのかわからないけれど、「今だ」っていうタイミングがいくらでもある。
滴々とたらす醤油の、1滴まえでも1滴あとでもだめな、絶妙の瞬間。

―0地点、動くな。

手をとめる。
やりすぎたかな、やっぱりな。
たりなかったかな、やっぱり。
熱でも出ていない限り、だいたい当たるそのタイミング。

似たようなことが、ほかにも。
腹八分とか、ほどほどにとか、そんな適当なぬるい話じゃない。
もっと的確で1ミリのずれも、一瞬のゆらぎもない完全な瞬間。
細い、細い針で瞬時に突くように。

海に潜るとき、
適正なおもりをつけて、潜水して「中性浮力」というのをやる。
沈まず、浮かず、そこにあるように。
ぴたっときまると、重力を感じない。
ふわふわも、しない。
水と自分は一体で、上下も左右も意味を持たない。

文章を書くとき、
するするとペン先から文字がこぼれる。
思考しているという意識もなく、ほとんど自動的に。
できあがると、ひとつの作品は自分の分身。
絵も写真もそれとかわらない。

美しい風景に遭遇したとき、
身体の存在を忘れる。
0地点に戻る。
重力も、上下左右もない、完全な瞬間。

目が覚めて、思いつきで出かける、
何千万の葉に光の当たる森の緑道、
照らされた水面が白く輝く凪の海、
枝先にとまったトンボ、
毛づくろいをしあう鳥たち、
雲の向こうから顔をのぞかせる太陽、その圧倒的な強い光、
胸を打つ言葉、
不意打ちの笑顔、
憂いをたたえた指先、
子どもみたいに無邪気なステップ、
遊び疲れたあとのまどろみ、
夢のなか、奇跡みたいな物語、
目覚める朝、快適な部屋、
朝陽、

くりかえし、∞

すべての瞬間、いつだって0地点に還れる。
ほんとうにしたいことなんて、それだけなのかもね。
すきな場所には、そのチャンスが散りばめられてる。
星の数よりももっとたくさん。

だからそこに行く。
そういう場所を、私は創る。

ただいま、日本 ―デトロイトより、暖かな思いを込めて―

デトロイト空港は巨大で、洗練されてたデザインで作られている。
もうどこにもサボテンや椰子の木の気配はない。
夏の休暇を過ごしたような人びとよりも、ビジネスマンの姿が多く、歩行速度が速い。

またも遅延のアナウンス。
往路のような特別なフライトチェンジはないらしい。
友人と、英語の世界から離れるのさみしいねと話していたのを神様が聞いて滞在を伸ばしたのかな?なんて言いながら、すでに時差ぼけの頭がぐるぐるし始めている。

今回は、はじめてのひとり海外でどきどきわくわくしていたのに、驚いたのは、なによりも、どこまでも「私」がついてきたということだ。
なにを見ても、どう話しても、しつこく頑健に、私は私のままだった。

モーテルの部屋には陽の光が射さなくて、ごはんはなんでも多過ぎてヘルシーじゃなくて、フライトチェンジで睡眠は足りなくて、砂漠の気候は想像を絶する過酷なものだった。
暑いのが好き、というのをもう今後はやめようかという気になるくらいに、本気の暑さを体験した。乾いた空気が皮膚という皮膚を刺し、ぐぐぐっと押してくる。
その熱気のなかを歩くのは無謀。アメリカは、でかい。
宿泊費をけちって郊外のモーテルに泊まると、結局は移動に経費がかかる。勉強になった。
ダウンタウンのスーパー近くに、キッチン付きの宿泊施設をとるのが賢いのかもしれない。調理をできれば、健康の維持もしやすい。

セドナでの数日間のことは、まだうまく言葉にならない。

心地よかったのは、人びとの気軽な挨拶とスモールトーク。
Hi,How are you?
How’s it going?
Good! Thank you.You,too.
言葉を交わさない場合でも、口角を上げたにっこり笑顔。
そして、海岸沿いには日本の南島のそれと同じく、ラフな服装でくつろぐ人たちの姿。
その伸びやかな様子を見ているのも気持ちがいい。

すごい量のごはんを食べているだけあって、恰幅のよい人が多い。ファッショナブルという言葉に収まるのかはわからないような奇抜で魅力的な装いの人もたくさんいる。

幅が広いのは、人種に限ったことではなさそうだ。人びとの価値観や、好みや、望み、願い、その幅の広さと、それを体現している度合いが半端じゃない。

たまらん。
このカラフルさが、たまらない。
鮮やかに彩られたジャングルにも負けない豊かさだ。
赤、黄色、青、緑、オレンジ、紫、白、黒、茶色、金、銀。
色と色の間に限りなく存在する、無数の色。
それくらい、それ以上に人間は多様で、なんでもありで、おそろしくて、美しい。

こんなところに、いたいなあ。

ものごとが多様であること、変化に富んでいることが心地よい。
いつもなにか動いていて、エネルギーが流れていて、たったの数秒間、目を離しただけでも、肝心の瞬間を見逃しそうなくらいに貴重な光景。夏の日の夕焼けのように、圧倒的な。

そういうものを、原色を用いてより濃く深くして激しく表したような、United States of America.

けっこう好きだな。
ちょうだいって言わないと、余計な袋やスプーンなんかをくれないところも、お店の案内がなんだかそっけないくせに、すごく素敵なアートがそこかしこに展開されているところも。

わからないことは聞けば誰かが答えてくれるし、深入りはしないのに、暖かい。

少しだけ、差別の現場にも遭遇したけれど、どこにでもそういうことはある。旅先で少し緩んだ心にたった一滴の黒いインクを垂らしたように暗いものがひろがる。コールタール のように、粘り気のある苦々しい感触の。

そのすべてを内包して、だだっ広く繋がる大地。広い土地は、やたらと高いビルを作らせることなく、少し小高い丘に登れば、大地の向こうに赤い山々が見える。
空の青、雲の白、山の赤。
日本では見かけない景色。

何度でも来たいな。
大きなものに、包まれに。

でもとりあえず、うどんとか食べたいな。
だしがうんと効いてるやつを。
もうじき帰るぞ、日本に。

本当の名前を忘れなければ ―アリゾナの上空より、祈りを込めて―

ずっと欲しかった小型のつめきりを買った。
やたらと頑丈なビニールで密着するように包装されていて、開けにくかったが、取り出すと実によいサイズの、使いやすい品物だ。シンプルで、シルバーで、かわいい。

観光らしいことは、どこに行ってもいつもあまりしていない。
とくにひとり旅では。
旅の間に必要になったものを買いに出たり、洗面台で洗濯したり、調理台が部屋にあれば土地のものを使って料理をしたりする。日中は、カメラを持って景色を狩りに行く。朝と晩に散歩に出る。夜には、その日に浮かんだことをスケッチブックに記す。一眼とスマホにおさめた風景や人やものを眺める。地産の紅茶かお酒がお伴になると、なおよい。

今朝、旅の前から気になっていたささくれを、新品のつめきりで切った。
たぶんこれからも、
どこまでも飛ぶし、どこまでも潜る。どんどん進む、命ある限り。怪我しても、倒れても、立ち上がってまた前へと。
自分の意志で、自分の速さで。嵐のなかも、舵をとって。
それが確固たるものとして感じられた、5日目の朝。

なるようにしかならないのだと、受け入れて落ち着こうとすること。なんとかしようとしてもがいて苦しくても押し通そうとすること。いったいどっちが自分に正直なんだろう?
そして、どうすることがどちらの選択に当てはまるといえるのだろう?
後者をとって進むために、できることはなんだってする、そう決めたとき、まるで前者のようなところを通る時間もある。一見、それは不自由さとして映るのかもしれない。
要るお金を貯めるための仕事や時間とか、力をつけるための修行や訓練とか。
そこで真剣に戦っていると、いったいなんのためにやっているのかわからなくなることがある。力を注げば、注ぐほど。
だから、きっと、

―――本当の名前を忘れてはいけない

If you completely forget back it, you’ll never find your way home.
by “Spirited Away”, Haku

今日、麗しいリゾート地から、ワイルドな荒野を含むはじまりの土地に向かう機内で、私は気がついた。

雲の上は、いつでも晴れているのだ。

地を踏みしめ、空を見上げたとき、どんなに厚い灰色の雨雲でも、その向こうに太陽を感じられる。
曇りの夕刻、ほんのわずかなすき間から射す一筋の光に出会うとき、わたしたちは本当の名前を思い出すことができるだろう。

荒野をゆく修行の日々は、虹のかかる楽園への布石に過ぎないと、思い起こすことができるだろう。

雲の向こうのわずかな光、小説のページの美しい一行、ふと目が合った瞬間に高鳴る鼓動、魂を震わせる煌めくような音楽の一節、優しい夢を見たあとの休日の朝のまどろみ。

未来へと向かう、現在の途中、そのなかにも、Happyの種はとめどなく溢れている。
そこから出た芽を愛でて、育み、輝く緑道を進む。
雨も降らなきゃ、育たない。
どんな花が咲くのかな。
天に届きそうな勢いで伸びる木々の間を、虹に向かって歩いていこう。そこをたよりに歩いて行けば、行き先を間違うことは、きっとない。
本当の名前を、口ずさみながら。

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